岡山市議会 2021-06-16 06月16日-05号
◎菅野和良教育長 同じ項,まず岡山藩藩学についてですが,史跡旧岡山藩藩学は岡山藩主池田光政が1669年,寛文9年に設けた藩士子弟のための藩学であります。大正11年に史跡に指定されましたが,建物は戦災で焼失し,はん池のみが残っております。岡山の教育史を語る貴重な文化財として保護,保存していくとともに,一般に公開し,史跡としての重要性をホームページなどで発信しております。
◎菅野和良教育長 同じ項,まず岡山藩藩学についてですが,史跡旧岡山藩藩学は岡山藩主池田光政が1669年,寛文9年に設けた藩士子弟のための藩学であります。大正11年に史跡に指定されましたが,建物は戦災で焼失し,はん池のみが残っております。岡山の教育史を語る貴重な文化財として保護,保存していくとともに,一般に公開し,史跡としての重要性をホームページなどで発信しております。
それから,言うまでもありませんが,この倉安川はかつて吉井川水運を岡山の城下町に結びつける運河で,延宝7年,岡山藩主池田光政の命で,その家臣津田永忠の設計で完成した高瀬舟の水路でありました。今でも当時をしのばせる雁木ですとか,船を引いた高水敷の跡が見られるのであります。これらも何らかの形で残せないものか,御所見をお伺いいたします。
現在のところ,江戸時代初期の慶長,寛永ごろの岡山藩主池田光政当時の武家火消しから始まりました状態消防の関係につきまして,幕末,明治,大正,さらには岡山大空襲等の校正を終えまして,昭和の後半の編集作業に入っておるところでございます。 この発刊につきましては,昭和63年6月10日が岡山市消防の発足40周年記念日に当たりますので,それに合わせまして発刊をいたしたいと思っております。
興除地区の干拓は岡山藩主池田光政の功臣,津田永忠の計画によって始まりました。当時から用水源確保に幕府や藩の命令で倉敷代官大草太郎らを筆頭に農民が一体となって,血のにじむ先人の闘いと努力が重ねられてきたとうとい歴史があります。戦後も莫大な事業費を投入し,児島湾を締め切って淡水化による農業かんがい水利事業が実施をされましたが,今日の状態は水質の汚染が激しく,水稲や野菜の生育に支障を来しております。
次に,権現祭りの復活についてでございますが,権現祭りは正保3年岡山藩主池田光政のころに始められて,幕末まで毎年春または秋に行われていたものであると聞いております。岡山では最も大きい年中行事の一つであったようでございます。
私たちの岡山藩主池田光政公は,歴史の上でも最もよく「禍を転じて福となす」心得をしておった人間だと,為政者だと言われております。承応3年と申しますから1654年,今からちょうど330年前,岡山は未曾有の大洪水に襲われ,続いて大飢餓に襲われたのであります。年貢は例年の半分以下に落ち込み,武士も百姓もともに飢えに苦しんだと言われます。